限界の向こう側に挑戦! (なすだ)
学研まんがの「ひみつシリーズ」は、小学校の図書室にズラリと揃えられていました。年中行事・野球・ことわざ・天気などなど、雑多な知識が140ページほどのマンガにパッケージされていました。毎ページ、欄外に1行ずつはいった「まめちしき」は、いまで言うトリビアで、「蒸気機関車の最高速度記録は、イギリスのマラード号が1938年に出した時速201km」などという記述を見ては、「どんなかたちをした列車なんだろう」と想像したものです。
シリーズのつくり方が統一されているので、「このシリーズを読めば○○についての(ムダかもしれないけど)たくさんの知識が手に入る」という期待を持たせてくれるシリーズです。シリーズの巻によってクォリティはさまざまですが、内山安二さんのつくる科学もののシリーズは、どれも何度も読み直しました。
『できる・できないのひみつ』に登場するのは、なんでもやってみないと気がすまない少年やっ太と、そんなことできっこないとツッコミを入れる外人デキッコナイス。百階建てのビルはできるか? 台風を吹っ飛ばすことはできるか? 海はどこまで深く潜れるか?
「できっこないす」「そんなことはない、やったる!」金づち片手にトンテンとやっ太の挑戦する姿にワクワクさせられたものです。百階建てのビルをつくればビル風が問題になるし、中はエレベーターだらけになってしまう。時速500kmの電車は車輪が浮き上がってしまう。大きな消火ポンプは人間が支えられない。大きいものをつくることはそれだけで困難がともなうこと、でもやりがいのある課題だということをよく示しています。
また、台風を吹っ飛ばしてしまえば、農作物ができなくなったり、気象のバランスがくるってより大きな災害を巻き起こしたりしかねない、ということも示唆しています。かんたんには手出しできない、してはいけない領域があるこということも端的なかたちで教えてくれました。
地球の裏側まで穴を掘れば、荷物を送れるか? という章はなかでも異色のつくりで、技術的な課題はさておいて、そんな穴が「もし掘れたとして」それで本当に荷物が送れるのか、ということを考えています。重力はどうはたらくか? 空気の摩擦は? 地球の中心は10万気圧で空気も鉄のように固くなる! など、そんな穴が「もし、できた場合」どんなことが起こるかを考えています。「思考実験」という方法は、ここで教わりました。
科学まんがには、やがては内容が古くなるという宿命があります。『できる・できないのひみつ』も1993年に改訂されて、ところどころに新しい事例がはいってはいますが、扱うテーマの根本的な古くささは、どうしても拭えません。
『できる・できないのひみつ』の方向性を継承しているシリーズに『まんがサイエンス』(あさりよしとお著、学研、1991年〜)があり、大人が読んでもうならされるような最新の科学トピックを、子どもの視点から解説しています。
ただ、古いものがかならずしも興味をひかないかというと、そんなこともないようです。私が『できる・できないのひみつ』とならんで愛読していた理科学習まんが『光・音・熱の魔術師』(本間富治・立案、集英社、1966年)は、当時すでにかなり古い本でした。燃焼の話で出てくる炭団、火鉢、火消し壷などは、生活のなかにはありませんし、氷で冷やす冷蔵庫なんて見たこともなかったはずです。
それでも楽しむことができたのは、この『光・音・熱の魔術師』が、いつも目にする現象から疑問を見つけて、世界をちがった目で見るためのノウハウがつまった本だったからでしょう。
『できる・できないのひみつ』の目次には、上に挙げたようなテーマをトコトン追っかける章のほかに「人間のツメはどこまで伸びる」「ダイヤモンドはどうやって削るの?」といった1ページもののコラムがあり、そこでも疑問を見つけかたが一級品です。巻末は突然に南極探検のスコットや深海探査のピカール親子の伝記がはいっていて、目次はとても雑多な構成に見えます。
それなのに1冊の本として印象が深いのは、「限界に挑戦しよう」「まずはやってみよう」という精神が、この本の中に一貫したメッセージとして流れているからでしょう。「いちばん高い山は?」「海はどこまで深いの?」といった、子どもの持つとても根本的な「限界への欲求」を、かきたててくれる本です。
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