違いを理解しあいながら対等な関係を結ぶ (たまちゃん)
私は、今までの教員生活の中で、悔やんでも悔やみきれない、取り返しのつかないような過ちを何度かおかしてきた。その一つにやっちゃんのことがある。
やっちゃんは、生まれつきの病気のために、左半身麻痺という障害をもっていた。左手左足は思うように動かすことができない。左足が不自由なことは歩き方を見ていればすぐ分かるほどだった。
私がやっちゃんを担任したのは3、4年生の時のことである。前担任や養護教諭からやっちゃんの病気や障害について申し送りを引き継いだうえで受け持った。ところが、私は担任して早々、やっちゃんの障害をめぐって、保護者をひどく傷つけてしまったのである。
五月初め、音楽専科の先生からやっちゃんのリコーダーについて話があった。「やすしくんは、左手が不自由ということで他の子とはちがうリコーダーを使ってますね。でも他の子と同じリコーダーじゃないからやる気が出ないんじゃないですか?いっそ他の子と同じリコーダーに変えてみたら?お母さんに相談してみてください。」
そして、その言葉を、私はあまりよく考えずにそのままやっちゃんのお母さんに伝えてしまったのである。初めはやっちゃんのお母さんも「あのリコーダーは通院している病院のOT(作業療法士)の先生の指導で、やすしの手に合わせて作ったリコーダーだから。」とやんわり断った。けれども愚かにも私は「でも音楽の先生がそうおっしゃるんですが。」と二度までも音楽の先生の言葉を続けて言ってしまったのである。
二度目、やっちゃんのおかあさんは突然泣き出した。「先生はやすしにできてもできなくても、普通の子と同じリコーダーを使えって言うんですか? それってあんまりじゃないですか? やすしをあんな病気に産んでしまったのは私です。他の子と同じ楽器が使えないのは私のせいなのに、やすしにその犠牲になれっていうんですか?」と泣きじゃくりながら叫び、うずくまって動かなくなってしまった。放課後の教室の中で、泣き崩れるやっちゃんのお母さんを前に、私は自分が、いかにやっちゃんの苦しみ、やっちゃんの親御さんの苦しみに寄り添うことができていなかったかを思い知らされた。
よく考えれば、やっちゃんが意欲的にリコーダーを使おうとしなかったのは、担任である私や音楽専科の教師のかかわり方、指導のし方に問題があったのである。にもかかわらず、私たち教師は、まるでやっちゃんの障害のせいでやっちゃんに意欲がわき起こらないかのような言葉を言ってしまった。私は自分の軽率さ、未熟さ、言ってしまった一言の罪深さをどれほど悔いたことか。私の教員人生の中で決して忘れることのできない、償えない過ちの一つである。
さて、このやっちゃんのいる学級で、『びりっかすの神様』を読みあうことは、私にとってはかなり勇気の要ることだった。足の悪い清田くんとやっちゃんが重ね合わされることは必至だ。けれども4年生の最後、高学年に向けてのクラス替えを目の前にして、やはり、成績競争に真正面から対抗する友情物語、目に見えない人間のねうちを感じあうこの学級物語を、私はこの子達と共有したかった。
案の定、子どもたちはびりっかすさんと心の中で会話することを、毎朝心待ちにするようになった。ひとり、またひとりと、びりっかすさんを見ることのできる仲間が増えていくのが、子どもたちにはとても嬉しいらしい。とりわけ、10章「かわいそうな先生」ではまるで本の中の子たちのように、うちのクラスの子どもたちも、何も言わなくても同じところでいっせいに目配せしたり、にやっと笑ったりした。特に「何もおもしろいことを言ってないのに何人もがいっせいににやっと笑う」ので、先生が「ある時、自分では気づかないでおもしろいことを言ってしまったのではないか」と思って「みんなのにやりにあわせて、へへへと笑ってみた」ら、みんなが「そろってヘンな目で見た」場面では、クラス中でにやりの波が一斉に広がった。
そして子ども達がなによりも好きだったのは、点数競争にみんなで負けようとして助け合えば助け合うほど、最低点が上がる、つまりみんなが勉強がわかるようになるくだり。
「これっていいよなぁ。」「うちの学校にもびりっかすさん来てくれたら、みんな頭よくなるぜぃ」「仲良くなって頭よくなるの最高じゃん!」「負けようとしてたらどんどん点数上がっちゃうんだなぁ!」「教える方も教えてもらう方も、前より頭よくなるみたい!」
競い合うことより、助け合うことの方が、互いに伸びあってゆけることを、こんなにさりげなく愉快に納得させてくれるのだから、岡田淳はすごい作家だとつくづく感心してしまう。
さて、いよいよクライマックスの運動会、クラス対抗全員リレーの場面にさしかかった。子どもたちは清田くんのいる2組に対して、わざと負けるか、本気で走るかの選択をめぐって、真剣に心の会話を続ける。私のクラスの子達も真剣な表情になっていった。
「相手が手抜きしててそれで自分が勝ってもうれしくないよ。」「ばれなきゃいいじゃん」「でも清田って子、バカにされてるみたい」「信じてるんだぜ。清田って子、1組が真剣だってこと。」「おれならバカにされたくない」
一言一言を聞きながら、子どもたちの心の中に、清田くんがやっちゃんと二重うつしになっているのを感じた。うちのクラスの子たちは、幼稚園の頃からやっちゃんを知っている子が多い。また1、2年時の担任のあたたかな学級づくりのおかげもあって、子どもたちには、やっちゃんの病気や障害を自然に受けとめ、配慮する雰囲気ができていた。
だから、私自身がうっかり配慮に欠けていた時は逆に子どもたちから叱られた。調理実習の計画の時、「先生、やっちゃん甘いもの食べられないんだから、お菓子の種類とか材料、もっとよく考えようよ!」校外に探検学習に出かけた時「先生、もっとゆっくり歩いて!やっちゃん、がんばって歩いてるんだぜ。」と注意されることもしばしばだった。
けれども、子どもたちは決してやっちゃんを特別扱いしなかった。外で遊ぶ時も、体育の時も、調理実習や図工の道具使いの時も、やっちゃんに班の一員として精一杯取り組むことを要求した。時にケンカになり、やっちゃんがヤケになることもあったくらい。その代わり、子どもたちはやっちゃんと同じ班やチームになっても決して嫌な顔一つ見せなかったし、ゲームのルールづくりなどは、言葉に出さずとも、やっちゃんのことを考えて子どもたちなりに工夫していた。リレーにムカデ競走をとり入れて走力よりもチームワークがものをいう勝負にするなど。そんなふうに工夫や配慮はしても、勝負は真剣、やっちゃんへの要求も真正面からぶつける。この子達のそんな姿勢に、私は本当に多くのことを学んだ。
人間がそれぞれの違いを理解しあい、気遣いながら助け合うことと、自分と同じ人間として正面から向かい合い対等な関係を結ぶこと。この「違う」けれど「同じ」人として結ばれることのあり方を、私はこの子達から学んだ。そしてやっちゃんのお母さんを傷つけたあの日のことを、この子達のかかわりのあり方をとおして、いっそう恥ずかしく、忘れがたい私自身の過ちとして心に刻まずにはいられなかった。あの私の言動は、まさに「違う」ことから目を反らすことによって、「同じ」人間としての尊厳をふみにじってしまったのではないだろうか。
清田くんをとおして、やっちゃんをとおして、そのことを身をもって教えてくれた『びりっかすの神様』とわがクラスの子どもたちに、私はいつまでも感謝している。
|