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苦難の少年に寄せられる共感と祈り
・・・・・March3
 

『半月館のひみつ』
ポール・フライシュマン作
谷口由美子訳
1993年・偕成社

[内容紹介]
 主人公の少年アーロンは生まれつき口がきけません。母さんと二人暮しですが、その母さんが町に出かけたまま、帰ってきませんでした。
  心配でいてもたってもいられないアーロンは、母さんをさがしに、雪の中をとびだしました。そして、道に迷い、「半月館」という宿屋でぶきみなグラッグルばあさんにつかまり、働かされ、家に帰してもらえなくなってしまいました。人の夢をのぞき見しては金品をまきあげるグラッグルばあさん、次々おこるおそろしいできこと。「半月館」から逃れ、母さんの腕の中に帰るために、アーロンは頭をつかって格闘します。

 

   

苦難の少年に寄せられる共感と祈り (たまちゃん)

 この物語は、4年生の子どもたちといっしょに、毎朝の読書タイムに10分ずつ読んできた作品です。自分たちと同じ年頃の男の子が、母さんを思って危険もかえりみず家をとびだしていくところ、何がおこるかわからない旅を続けるところ、ぶきみな宿屋でグラッグルばあさんにむち打たれるところ、殺し屋に危機一髪でおそわれるところ等など、子どもたちは息をのんで、物語に入り込んでいきました。

 おそろしいできごとのなかでも、アーロンが決してあきらめず、口がきけないがゆえに、考えを駆使して窮地を逃れようとする姿に、子どもたちは「アーロン、がんばれ」「アーロン、もう少し!」「すごいぞ、アーロン」と必死で声援を送ります。

 とりわけ、子どもたちが祈るような思いで読んだ場面は、アーロンが「半月館」でつかまり、何日も何日もむち打たれ働かされていたある日、とうとう母さんがアーロンを探しに「半月館」をたずねにきた場面です。それまで、アーロンと同じ気持ちで、痛い、つらい思いを耐えてきた子どもたちは、アーロンが、吹雪の中を歩いてくる母さんを窓から見つけた時、「ああ、やっと、やっと、お母さんが来てくれたんだ」とさし絵の母さんの姿に目がくぎづけになっていました。

 ところが、アーロンはお母さんに会える一歩手前でグラッグルばあさんにえりくびをつかまれ、二階の戸だなに放りこまれてしまったのです。いくらもがこうがあばれようが、アーロンは口のきけない少年です。玄関までたずねてきた母さんに「ここにいるよ」と伝える術がありません。グラッグルばあさんは、わが子を必死で探している母さんに対して、慇懃無礼に知らないふりをしとおします。肩を落とし、「半月館」を去っていく母さんに、「母さん、ここにいるんだ」とも伝えられないまま、戸だなの戸をガンガンたたきつけるアーロン。

 もう子どもたちは今にも泣き出さんばかりの思いつめた表情で聞き入っています。心の中で必死に「お母さん、気づいて。アーロンがここにいるんだよ」と叫んでいるのがわかります。いよいよ、お母さんの馬車が動き出そうとするその時まで、声に出して読んでいる私も、聞いている子どもたちも、「何とかして、神様」と祈るような気持ちでした。
「馬の足音がしだいに遠くになっていきます。アーロンは最後にガーンと戸をたたき、ゆかにくずおれてしまいました。涙が、声の出ないアーロンのほおを、とめどなく流れました。」という箇所を読んだ瞬間、子どもも私も深い絶望感にうちひしがれました。

 「ムカツク、このばばあ」。その時、こらえきれない様子でつぶやいたのが栄一くんでした。
 栄一くんは、どちらかというと本を読むのがきらいな子です。自分で手に取って本を読んでいるのを見たことがありません。国語や漢字が苦手だと意識が強いせいか、文字を追うことは面倒くさいようです。けれども、私が本を読み語りしはじめると、私の目を真剣に見て、耳を傾けるようになりました。特に、毎朝、このアーロンの物語をきくようになってからというもの、ことばに全身全霊をそそいで聞きいるようになりました。そして、先のクライマックスともいうべき場面で、悲しみのあまり、腹の底からわきでるような低い声で、グラッグルばあさんへの許しがたい思いを声にしてしまったのです。栄一くんの気持ちは、母さんを思うアーロンの切なさとぴったり重なり合っていたのです。

 栄一くんは、約一年前から、お母さんが看護婦さんの仕事に復帰しました。出産を機に看護婦を退職し、家庭に入っていたお母さんでしたが、栄一くんが三年生になり、ようやく手が離れはじめたので、病院勤務を再開しました。再び看護の仕事にいきがいを見い出し、はりきっているお母さんはとても素敵でした。栄一くんもそんなお母さんを誇りに思い、「ぼくのお母さん、看護婦さんなんだ」と嬉しそうに教えてくれました。

 けれども、栄一くんもまだ十歳の男の子です。夜勤、準夜勤など深夜までの勤務もある看護婦さんの仕事を、頭では理解し、一面では誇りに思いながらも、やっぱりお母さんのいない夜はさみしいのです。
  お父さんが仕事で遅い日とお母さんの夜勤が重なった日は、弟とふたりだけで、用意された夕飯を温めなおして食べなくてはなりません。下校時刻のころ、突然お母さんから学校に電話があって、「仕事の関係で急に帰りが遅くなったから、あれとこれをこうしてごはんにしてね」という日もありました。生命をあずかる大切なお仕事にたずさわっている以上、やむをえないことです。でもやはり、生まれてからずっとお母さんがそばにいてくれた栄一くんにとって、生まれて九年目にして初めての試練の夜も、少なくなかったにちがいありません。

 それだけに、お母さんがお家にいてくれる日は、栄一くんは思いっきり甘えたいのです。家庭訪問に行った日も、栄一くんはお母さんのそばにぴったりくっついて、学校では見せたことのないようなうれしそうな笑顔で、おかあさんの手作りの蒸しパンをほおばっていました。たまにお母さんの勤務が平日休みの日は、栄一くんも「ぼく、ちょっとつかれちゃったなぁ」といって学校を休みます。学校は大好きだけど、たまには思う存分お母さんに甘えたいのでしょう。

 そんな栄一くんだから、アーロンのお母さんが町に出ていったきり、帰ってこなかった夜を、アーロンと同じような切ない気持ちですごしたのではないでしょうか。外は雪の吹きすさぶ真っ暗闇、お母さんの安否を思って眠れないアーロン、お母さんに会いたくて会いたくてたまらない夜を行く晩も過ごすアーロンに、栄一くんは身も心も一つになってしまったのではないでしょうか。

 物語は、最後、お母さんが無事アーロンをさがしだし、アーロンはお母さんのあたたかいマントに抱きしめられます。栄一くんをはじめ、まだまだ甘えたい年頃の子どもたちですから、ほっと胸をなでおろし、アーロンとともに「半月館」を後にします。たえまなく続くスリルあふれるできごとにドキドキさせられながら、母さんを慕うアーロンの気持ちにすっぽり一体化してしまう『半月館のひみつ』は、あまえんぼうのギャングエイジにぴったりの読み物です。


(はしの)

私の周囲にも働いているお母さんが沢山います。
一人の方は、いつも一緒にいられない分、
寝るときに本を読んであげることを欠かさないとにしているそうです。
NHK「ようこそ先輩」でアラーキーが先生をやった回で、
良い顔の写真を撮ってくる宿題が出されました。
一人の男の子は、働いて夜遅く帰ってくるお母さんを待って、
いろいろ会話をしながら写真を撮っていました。
撮影が終わって、スタッフに「おかあさんのこと好き?」と
聞かれた男の子はこんな風に答えていました。
「みんなの前ではきらいっていうことにしているんだけど、本当は好き」。

 

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『さよなら エルマおばあさん』
写真・文/大塚敦子
2000年・小学館

いのちをみつめる
 ガンの告知をうけ1年しか生きられないことがわかったエルマおばあさんが、残りの時間を延命処置をほどこさずに自然のかたちで死を迎えていくありさまと、おばあさんを愛する人々が暖かく最後を看取っていくようすが、飼い猫の視点(写真での記録)で描かれています。
  おばあさんは「死ぬってことはね、魂が、この体をでて、こことは別の世界に行くだけなんだからね」と言いちっとも悲しそうでないのです。

(モモ)

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