パパ おぼえてる? (はしの)
「パパ おぼえてる?」と娘がきいてきました。何を、とききかえしてもはっきり言ってくれないので、「ないしょで教えて」、とお願いしてみました。すると私の耳に顔を近づけて、ヒソヒソ声でゴショゴショと耳うちしてくれる。「でんしゃ いっしょにみたでしょ おぼえてる?」
夏休みも半ばにさしかかった、一週間くらいまえの夕方のこと、二人でお散歩したときのことです。歩いて5分ほどのところにある東海道線の線路の上にかかっている陸橋に電車を見にでかけたのです。そのときのことを、二人だけの秘密みたいにこっそりと、見たんだよね、と言ってきてくれたのです。
目的がはっきりしないで歩くことがきらいな息子と違って、もしかしたら何か買ってもらえるかもしれない、という現実的な期待もあって、行く先が決まっていなくても娘は散歩にでかけます。そして歩きながら、いろいろなお話をしてくれます。「ひまわりがさいてるね おおきいねえ」「あさがおだ むらさきのおはなだね」と目に入ってくる自分が興味あるものを声に出して行きます。畑の中を近道しようとすると、「とおってもだいじょうぶなの?」と心配しながら、これはキュウリかなあ、これはたまねぎかなあ、という私の言葉に、「ようちえんでも おやさいつくってるんだよ」と教えてくれます。
『でんしゃがくるよ!』は、うちに遊びに来る子どもたちに人気のある絵本の一冊です。ぼくがおとうさんとおねえちゃんと一緒に自転車に乗って、線路の上にかかる橋まで電車を見にいくという、誰もが一度はやったことがあるようなお話です。主人公のぼくがおとうさんやおねえちゃんと共に味わう、電車を待つあいだのわくわくする気持ちや電車が足の下をくぐりぬけるときの気持ち良さを、この絵本を読む子どもたちも自分の体験とかさねあわせて楽しむことができる、というのがこの絵本の良いところです。
私と娘も、なかなか来ない電車を、まだかなあ、まだかなあと、待ちます。『でんしゃがくるよ!』の主人公と同じように、娘も信号が青になると電車がやってくることを知っているので、まだかなあ、まだかなあと言いながら遠くの信号を見つめます。実は電車を待っている時間もとても楽しいのです。足元に落ちている石をならべてみたり、陸橋の欄干を木の棒でカンカンとたたたり、飛んでいるとんぼから逃げまわったり(娘は虫が苦手なんです)、ジョギングする人を眺めたり、遠くの高台に見える県営球場の照明に灯りがともるのを見つけたりと、結構いそがしいのです。『でんしゃがくるよ!』の中でも、電車がやってくるまでのあいだに、のうさぎがおいかけっこをしているところ見つけたり、線路工事のおじさんが歩いているのを見つけたりします。探してみると、ほかにも沢山の出来事が起こっているんですよ。
いよいよ待ちに待った電車がやってきます。おねえちゃんもぼくも「きゃー」ってさけびます。でも二人の「きゃー」はちょっと意味が違います。おねえちゃんの「きゃー」はおっこちそうだからの「きゃー」、ぼくの「きゃー」は気持ち良いの「きゃー」。私たちの場合は、東海道線が離れたところをくぐるため、絵本ほどの迫力がありません。だから、私も娘も「きゃー」とはさけびませんが、同じ待った者同士、おねえちゃんとぼくの気持ちはとってもよくわかります。
まだ帰りたくないよ、という娘に、そうだよね、と答えながら、でもおなかが空いたんだよなあ、と思う頃が帰りどきです。
あれから何回も「パパ おぼえてる?」ときかれます。私も何回も「おぼえてるよ」とこたえています。
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