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「毒抜き」なしの要約を!
・・・・・June6
 

  

『怪奇植物トリフィドの侵略』ジョン・ウィンダム 作 中尾明 訳
1973年・あかね書房
『トリフィド時代』ジョン・ウィンダム 著 井上勇 訳
1963年・東京創元社

[内容紹介]
 ある日、地球に緑色の大流星群が降りそそいだ。思いがけない天体ショーに人々は喜んだが、翌日、その流星を見た人は視力を失ってしまう。社会が大混乱におちいるなか、食用油の原料として栽培されていた動く植物「トリフィド」が人々を襲いはじめた。
 

 

   

「毒抜き」なしの要約を! (なすだ)

 前に紹介した『神秘の島』に出会ったのは「福音館古典童話」という、とても立派な装幀のシリーズででした。このシリーズは原著の完全訳をモットーとしていて、子どもをバカにせず、本物の作品の面白さを伝えていました。このなかに『神秘の島』と同じ著者による『海底二万海里』があり、ぼくの通っていた小学校の図書館では、数少ないSF小説でした。

 そして、小学校にあった「数少ないSF小説」のほとんどが、あかね書房の「少年少女世界SF文学全集」でした。このシリーズはH・G・ウェルズ『宇宙戦争』からI・アシモフ『鋼鉄都市』にいたる、厳選された名作小説で構成されていました。ぼくの年代のSFファンの多くが、この全集からSFにはいっています。この『怪奇植物トリフィドの侵略』は、そのなかでも印象的な作品でした。

 トリフィド=3本の根でゆらゆら歩き、毒のムチで人を襲う植物、という奇想はSFファンに広く受け入れられました。SF評論のなかでも、歩いたり人を襲ったりする植物のことを「トリフィドみたいな」と表現されているのを見かけます。

 ところで、このあかね書房のシリーズは完訳ではなく、子ども向けに要約されたものでした。年配の方がトリフィドに言及するときは早川書房の「銀背」と呼ばれるシリーズのことを指していて、訳題も『トリフィドの日』というやや文学的なものでしたので、要約版しか読んでいない私は、しょうしょう引け目を感じていました。

  そんな経緯もあったので、書店で創元SF文庫の『トリフィド時代』が復刊されているのを発見したとき、喜んで購入したのです。そして、ビックリしました。
 この本は、ぼくの記憶にあった「ブーメラン銃や火炎放射器をふりかざして、寄せくるトリフィドをバッタバッタとなぎたおす冒険活劇小説」ではありませんでした。
 トリフィドは、人類の破滅を加速させるための狂言まわしに過ぎず、主題は「社会の大半が盲目となったら、どのような社会体制が有効なのか」という問いです。
 全員がなんとか助け合って生き延びて救援を待とうという一派と、目の無事なものとその家族だけでほかは見捨てて生き残ろうという一派が武力抗争をはじめ、ほかにもキリスト教の秩序によって社会を再編しようとするグループ、目の見えるものが領主になって封建制をつくろうとするグループがあらわれます。

 これは倫理学で「救命ボート問題」とか「カルネアデスの舟板」と言われている、「生き延びるためになにをすることが許されるか」という問いを、社会全体の存続に演繹したもので、破滅もの小説にはよくある展開です。この作品では、東京創元社版では、この問題が登場人物たちの議論ではなく、具体的に実践しているグループどうしの対立としてわかりやすく描かれていました。
 たしかにその中には、どぎつい、胸の悪くなるような場面や考え方もありますが、こういう作品は「社会正義とはなにか」を根源的に考える素材としてはいいものなのですが、子ども向けの本要約するときにそういう部分が「毒抜き」されてしまうことがままあります。

 そんなわけで、ここへの紹介に「要約・翻案の弊害」として紹介しようと思って、地元図書館の書庫奥深くから、あかね書房版を借りて読み返してみたのです。
 そして、今度は自分の記憶のあやふやさにビックリしたのです。
 良い訳なのです。記憶どおり、子ども向けの要約です。400字詰め原稿用紙で800枚強の原作が、半分ほどの分量になっています。でも、どの重要な部分も抜け落ちていません。原作にあったクドクドしさがなくなり、物語の構造が子どもにもすんなり判るように要約されています。
「めくらは、家畜以下です。生きているだけでも、ありがたいと思わなければなりません」などという発言も手を加えられることなく残っています。
 上の発言は封建主義者のグループのものですが、主人公が属することに決めるグループも、けっして現代の目から見てまともなグループではありません。男女の比率は1対3で、男性は全員目あき、女性は3人に1人が目あきという構成です。「目の見えない男性までやしなうよゆうはありません。なぜなら、目の見えない女性は、目の見える赤んぼうを産めるからです」。主人公は、その主張に違和感を覚えつつも、このグループの実際性に賛同していくのです。

 この作品で示される極端な発言やグループの行動理念に、読者である子どもが賛同してしまう可能性はたしかにあります。しかし、そうやって自覚した意識をもつ素地をつくらなければ、その論法の陥穽に気付くこともできないでしょう。平等や社会の公正さがなぜ必要なのかということが、ほんとうに納得されるためには、まずはそれらのなくなった社会を想像することができなくてはなりません。

 その意味で、この中尾明訳で行なわれている要約は、「問題の部分を拡大してディフォルメし、大胆な仮定のもとで物事の本質を提示する」というSFの真髄をまったくそこなわず、この作品のエッセンスを子どもに伝え得るすぐれたものです。

 ぼくは不覚にもその内容を忘れてしまっていましたが、それからもぼくがSFに傾倒していったこと、この「少年少女世界SF文学全集」が多くのSFファンを産んだことは、それなりの理由あってのことでしょう。子どもに本物の作品と出会わせる方法として、要約というのも有効な方法だということを知らされました。
 完訳版ではとりつきにくい、でも、子どもに読んでほしい本というのもあるのです。このあかね書房のシリーズのような、「毒抜き」をされていない要約が、子どもの本の世界に多く出てきてほしいと願っています。

 

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