友兼清治(ともかねせいじ)
1945年、神奈川県の川崎に生まれる。1968年、国土社に入社。数学教育協議会の担当編集者となり、遠山啓と出会う。 1974年、創設まもない太郎次郎社に移籍。月刊誌『ひと』の編集とともに「現代教育実践文庫」(通称「ひと」文庫)第1期の制作にたずさわる。また『遠山啓著作集』をはじめ、同社の遠山著作のほとんどを担当する。太郎次郎社代表取締役をへて、1990年よりフリー。
発行日 | 2017年03月発行 |
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判型 | 四六変・上製 |
頁数 | 400ページ |
価格 | 本体3000円+税 |
ISBN | ISBN978-4-8118-0799-7 |
Cコード | C0041 |
遠山啓とはなにものか──。
1950年代から60年代、いまも読み継がれる『無限と連続』『数学入門』を著し、数学教育の改革を提唱して「水道方式」「量の体系」を創出。
障害児への教科教育の道を拓き、70年代には「競争原理批判」を展開。ガウス分布にもとづく5段階評価の誤りを指摘し、序列主義と学歴社会を超える論証を発表する。最晩年、教育の市民運動を主宰して、親と教師と若者をつないだ。
数学者・教育者・思想家にして教育運動の実践者。その仕事の全貌を遠山本人の著述とともに描きだす。本書は「遠山啓著作集」の編集者がまとめた初の評伝であり、「遠山啓による遠山啓入門」の書である。
◎まえがき
プロローグ◎水源に向かって歩く──行動する数楽者の生涯
第1章◎学問・文学と出会うまで──一九〇九年〜一九三〇年(十歳〜二十歳代)
1●母ひとり、子ひとりで育つ
2●数学・文学・哲学との出会い
3●六年間のまわり道
第2章◎先駆的な数学研究への情熱──一九四〇年代(三十歳代)
1●敗戦と学問
2●研究への没頭
3●戦後の民主化運動のなかで
第3章◎数学教育の改革運動へ──一九五〇年代(四十歳代)
1●数学教育協議会の設立
2●生活単元学習(新教育)への批判
3●生活単元学習の背景
4●教育による社会の改造と持続
第4章◎「水道方式」と「量の体系」を創る──一九六〇年代(五十歳代)①
1●日本の算数教科書の変遷
2●水道方式の創出
3●量の体系の構築
4●ブームと弾圧
第5章◎数学教育の現代化をめざして──一九六〇年代(五十歳代)②
1●数学教育の近代化から現代化へ
2●一貫カリキュラムに向けて
3●なぜ数学を学び、教えるのか
4●教育政策と学習指導要領
第6章◎人間の文化としての数学──一九六〇年代(五十歳代)③
1●数学という文化
2●数学にはどんな特質があるか
3●数学における方法とはなにか
4●数学はどのように発展してきたか
第7章◎知の分断を超えて──教育と学問・科学・芸術(ミドルサマリー)
1●学問と教育の分断を結ぶ
2●自然科学と人文科学の断層を埋める
3●科学教育と芸術教育をつなぐ…
第8章◎原点としての障害児教育──一九七〇年代(六十歳代)①
1●人間観・教育観をゆるがす体験
2●教育の原点を問う
3●人間は測り知れない存在
第9章◎競争原理・序列主義への挑戦──一九七〇年代(六十歳代)②
1●教育における自由と統制
2●国家主義と序列主義
3●教育思想としての競争原理批判…
第10章◎”術・学・観”の教育論──一九七〇年代(六十歳代)③
1●たのしい算数・数学
2●数学教育の二つの柱
3●教育の未来像」
第11章◎「ひと」運動のしごと──最晩年・一九七二年〜一九七九年
1●『ひと』創刊の舞台裏
2●雑誌から生まれたうねり
3●ひと塾に集う
4●遠山啓と教育の市民運動…
エピローグ◎遠山啓という水脈──その闘いが遺したもの
◎あとがき
◎年譜と著作─遠山啓の軌跡
◎引用文献・出典一覧