パウロ・フレイレ(ふれいれ,ぱうろ)
Paulo Freire 1921年ブラジルの東北部に生まれた。1960年代初頭の「民衆文化運動」に参加、その卓越した成人識字教育の実践によって、広くブラジル内外の注目を集めた。64年、軍部のクーデタで祖国を追われ、以後15年間、チリ、スイスなどで亡命生活をおくる。その間に『被抑圧者の教育学』などの著作と第三世界各地での民衆教育プロジェクトへの参画を通して、伝達中心の「預金型教育」を批判、被教育者の主体性を重んずる「対話的教育」の必要を説きつづけた。82年帰国、89-91年はサンパウロ市教育長として公教育改革にとりくむ。1997年に急逝。その思想と方法は、死後、ますますその重要性が明瞭になりつつある。