■おもな目次
■著者紹介
1921年ブラジルの東北部に生まれた。1960年代初頭の「民衆文化運動」に参加、その卓越した成人識字教育の実践によって、広くブラジル内外の注目を集めた。64年、軍部のクーデタで祖国を追われ、以後15年間、チリ、スイスなどで亡命生活をおくる。その間に『被抑圧者の教育学』などの著作と第三世界各地での民衆教育プロジェクトへの参画を通して、伝達中心の「預金型教育」を批判、被教育者の主体性を重んずる「対話的教育」の必要を説きつづけた。82年帰国、89−91年はサンパウロ市教育長として公教育改革にとりくむ。1997年に急逝。その思想と方法は、死後、ますますその重要性が明瞭になりつつある。
里見 実(サトミ ミノル) 1936年生まれ。国学院大学教員。前『ひと』編集代表委員。 本書に関連する著作・翻訳として、 「パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』第1章をめぐって」(国学院大学教育学研究室紀要第33号)、 「フレイレとボアール」(同上 第20号)、 『ラテンアメリカの新しい伝統』(晶文社)、 『学ぶことを学ぶ』(太郎次郎社)、 フレイレ『伝達か対話か』(共訳 亜紀書房)、 ガドッチ『パウロ・フレイレを読む』(共訳亜紀書房)などがある。
◎おもな著書 『もうひとつの学校に向けて』(村田栄一との共著・筑摩書房) 『学校を非学校化する』(太郎次郎社) 『働くことと学ぶこと』(太郎次郎社) 『学ぶことを学ぶ』(太郎次郎社) 訳書にアウグスト・ボアール『被抑圧者の演劇』(晶文社)など。
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訳者後書きから
本書は,Paulo Freire Pedagogia da Esperan溝 Um reencomtro comapedagogia do oprimidoの全訳です。底本としては、PazeTerra発行の第2版を使いました。 1970年に刊行された『被抑圧者の教育学』は、世界中のいたるところで読みつがれて教育思想の「現代の古典」となっていますが、今日の状況とのかかわりを通して、著者自身がそれをあらたに「再読」した記録が、この本といえましょう。自著を再読する、ということは、それをくりかえしre−createする,ということでもあるわけです。同時にこの本には『被抑圧者の教育学』の成立の経緯なども語られていて、第三世界の激動する歴史の証言としても重要なものでしょう。 原テキストは息の長い、連想・飛躍・転調が複雑に織り込まれた、かなり手の込んだ文章です。その意味では難文といってもよいのでしょうが、ブラジルの読者の多くは、このテキストから聞こえてくるフレイレの「声」に耳を傾けているのだと思います。国文学者の広末保氏は『元禄期の文学と俗』のなかで、「西鶴はかくことによって、話術を、読むことのできる話術として再現した」と指摘していますが、フレイレのこの本も「読むものをして、話を聞いているような気にさせてしまうかきかた」で書かれています。それはたんに「話術」を文字に書き取るということではなくて、「読まれる話しことば」「書かれる話しことば」を、あらたに開発していく試みでもあるでしょう。
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