■おもな目次
1--気づいたときからフェミニストだった 食わせてもらうことの屈辱が生きる原点/おしおきを我慢するのは“ウスノロな子”/ イヤなものから逃げられない“ドレイ根性”/抑圧の連鎖から生みだされる、家庭版・いじめの構造/ 人に好かれることは、人にあわせて“自分”を殺すこと/自分をいじめる人から逃げられない心理
2--女はドレイになるようにつくられた 女が養われているかぎり、男は女を尊敬しない/女を分割して統治せよ、それが結婚制度/ タダ働きの家内労働に耐えられない女たちの出現/「母性」は、男社会が認めた女の唯一の権利!/ 「男らしい」男と「女らしい」女が生みだす悲劇/世間や家庭が女を「女らしく」育てあげる/ 女という身分をあらわし、自由を縛る服装/マリアでいくか、イブでいくか、ひとりの人間として生きるか
3--ペニスなしでどこまで人を愛せるか いまの社会でのセックスは、女への侵略・占領/ペニスなしで、どこまで人を愛せるか/ 男社会に適応するために、愛をおねだりする女たち/チャタレイ夫人は跡継ぎを産むためだけの存在 いのちに対する共感から生まれるセックス/セックスレス現象は、男のペニス幻想からの解放
4--抑圧のファミリー・チェーンをどう断ち切るか しつけとは、愛の名においてなされるいじめ/恋愛という愛と憎しみの代理戦争/ 自立した男と女にあらわれるピュアな力関係/抑圧のコアは、相手をピンで刺しとめるような支配力/ 私を抑圧から解き放った私の“フェミニズム”/抑圧を断ち切り、自分のための闘いをはじめる
●Epilogue--ただのフェミニズムを求めて 子どもを思いどおりにした親がつくりだす“親不孝”/妻と母の役割はあっても、自分がない「良妻賢母」 自分の“足”でお金を稼ぐことが自立の基本/「母性」に固執しているかぎり、女に自由はない 「男らしさ」から自由になる男たち/仕事をする魅力的な女たちとのうれしい出会い “冠つきフェミニズム”ではなく、ただのフェミニズムへ/これからは「心は社会主義、足は資本主義」のバランスで/ 民主的で差別のない豊かな社会の模索こそ、フェミニズムの目的
■著者紹介
田嶋 陽子(タジマ ヨウコ) 1941年、岡山県に生まれ、静岡県で育つ。 津田塾大学大学院博士課程修了。現在、法政大学教授。 大学で英文学・女性学を教える一方、テレビ、ラジオ、雑誌などをとおして、フェミニズムの原点を説く。海外のメディアでも活躍。 専攻の英文学・女性学では、女性学の視点から作品を読みなおし、これまでの文学論の解体、再構築をこころみ、注目されている。 ◎おもな著書 『フィルムの中の女--ヒロインはなぜ殺されるのか』(新水社、1991)、 『もう「女」はもうやってられない』(講談社、1993)、 『恋をしまくれ--私の体験的恋愛論』(徳間書店、1994)、 『だから、なんなのさ! 史上最高の田嶋語録』(テレビ朝日、1995)ほか 翻訳に『現代イギリス女流短編集』(共訳、太陽社、1974)、『シベリアの馬ジャンパー』(ぬぷん児童出版、1978)など
■関連記事
■関連ホームページ
|