ゆうすけさん(ティーンズポスト サポート会員)評
私のコミュニケーションを読む
アサーティブネス。
今までにも読んだり、聞いたり、ワークショップに参加したこともある。そして何となくわかっている気にもなっていた。自分も相手も尊重して、さわやかに自己表現するとか、「私」を主語にして語る私メッセージとか。でも気づいてみたら、相手を自分の思いどおりにコントロールすることが目的になっていた。どう表現すれば相手に自分の思いが伝わるか、ということより、どうすれば相手が自分の期待どおりに反応してくれるか、そのことばかりを考えている自分がいた。人との関係がうまく結べない、コミュニケーションがうまくとれない、というのは、相手をうまくコントロールすることができない、自分にとってはそういう意味になっていたような気がする。
本書は、2002年9月に出版された『こじれない人間関係のおけいこ アサーティブネスしようよ』のリニューアル版として大幅に加筆、パワーアップして出された本である。アサーティブな自己表現をとおして、自分自身やまわりの人たちと豊かな関係を築いていく助けになりたいという著者の願いが伝わる。
コミュニケーションはむずかしい、でもだからといって、できないということではない。じゃあ、どうしたらいいの? そんな疑問に、具体的に、そしてより実践的に本書は答えてくれている。
2年前、自分には他人と親密な関係を築く能力がない、そう思いながらも、迷いに迷ってぼくはパートナーとの人生を踏み出した。それから今日まで、どうやってきたのだろう。自分にも相手にも正直になることが大切だ、そう思って相手が傷つくのもかまわずにむき出しの言葉を投げつけてみたり、自分の思いが相手に伝わっていないもどかしさを感じて、自分の表現の仕方が良くないのかな、とあれこれと悩んだりしてきた。その一方では波風を立てないようにと、ことばや思いを呑みこんでしまっていることもあった。
そして、結局のところ、自分の期待どおりに反応してくれない相手にいらいらをつのらせている自分がいた。
そんな今の状況から、何とか前に進みたくて、ぼくはこの本を開いてみた。
「この本は毎日一章ずつ進めると、七日間で終るように構成されています」と書かれていたとおりに、一日一章ずつ読み進めていった。それはぼくにとって、とてもこころおだやかな、豊かな時間だった。人間関係は自分の気持ちと相手の気持ちのやりとりで生まれる、自分とおしゃべりをして、こころのことばとおしゃべりをして、リアルな気持ちをとり出し、伝えていこう、そう書いてあるとおりに、ワークをしながら本を読み進めていくことは、まさに自分とのおしゃべりだった。自分のこころの声はとても小さくて、なかなか聞きとれない。耳をすまして、ときおり問いかけをしながら、そのことばが聞こえてくるのをゆっくりと待つ。「自己理解ワーク」にはそんな問いかけのことばがいっぱい散りばめられていて、自分とのおしゃべりのきっかけをつくってくれる。おしゃべりができたときは、何となく、こころが落ち着いて、豊かな気持ちになれた。
でも、忙しくて、がちゃがちゃしている気分で読んだ日には、本の文字だけが目の前を通り過ぎていった。そんなときには、うまくおしゃべりができなくて気持ちもざわざわしたままだった。
そうやって自分とおしゃべりをしながら、感情をとおしてこころのことばを聞くことで、自分の気持ちを認めていくことができるようになる。感情はからだのメッセージ、からだは「自然」。だから、感情は自然のメッセージなんだって。へえ、そうか、と思った。そうすると、感情を無理やりからだのなかに押しこめておいたり、無視したりすることはとても不自然なことなんだ。表紙のクロちゃんが、自分のからだをいつくしむように抱きしめているのは、そうやって自分のからだのメッセージである感情をキャッチしようとしているんだと思った。
ぼくは自分の気持ちがわからないことが多い。感情が感じられないこともよくある。どうしたらわかるようになるんだろう、っていつも考えている。からだを大切にすること、そのメッセージに耳を傾けること、それも必要なんだってわかった。
自分の気持ちを認めることでそれを相手に伝えていくことができる。そして、自分の自己表現のステップを認めることで選択することができる。読み進んでいきながら、一歩一歩コミュニケーションへの階段を上がっていくことができる。自分の気持ちを伝えること、頼むこと(むずかしい!)、NOということ(もっとむずかしい!)、そして、気持ちを受けとること。でもいつもはじまりは、そしてもどってくるのも自分の気持ち。「自分の気持ちは世界でたったひとり、自分にしかわからないから、まずは自分の気持ちに耳をすませて、それを認めて、はじめて相手に伝えることができるのです」それは、この本のなかで繰り返し語られるメッセージでもある。
第一章で、アサーティブのワークショップに参加した青年がロールプレイの中で、自分の気持ちを話してくれない彼女に「ぼくはあなたと一緒に考えたい。一緒に決めたいんだ。気持ちを聞かせてほしい」そう語る場面が出てくる。ぼくは関係を築きたいと思う相手に対してそんなふうに、自分の気持ちを伝えたことがあっただろうか。なんとなくわかってほしい、いつもそんなふうではなかっただろうか。それよりも、果たして、伝えたい自分の気持ちが何なのかわかっていたのだろうか。自分の気持ちを認めて、それを伝えていく。相手の気持ちも尊重する。それは自分の気持ちを呑みこむことではない
。むずかしいことをわかりやすく、楽しく、という著者のことばどおり、内容も表現も多彩で毎日楽しく読み進めることができた。「クロの絵本」でクロちゃんが表現するさまざまな感情や自己表現ステップには、自分の姿が映ってみえた。自分の悩みやとまどいを代弁してくれているかのような「つぶやきログ」は、まるで歌を歌うようにリズミカルで、まるごと、こころにひびいてくる感じがした。そして「自己理解ワーク」での自分とのおしゃべり。それらを通して、少しずつ、コミュニケーションって何、アサーティブな自己表現ってなんだろう、ということを理解することができた。
前作が出版されてから四年、わたしたちをとりまく世界は、いちだんと暴力性を帯びてきているようだ。そのなかで一人ひとりは押しつぶされ、自分を守るためにますます閉じこもっていく。そこでは自分自身との関係も切れ、他者とつながることもできない。
この本はそんな危機的状況にいるわたしたちに、本来もっている力、「当然のもの」を取り戻していく力を思い出させ、発揮できるように勇気づけるために
、よりパワーアップして登場した。読み終わって、そんなことを感じた。
コミュニケーションはむずかしいし、いままでやっていなかった新しいことは、こわい。でも勇気を出して新しいステップを踏んでみよう。そして、失敗したらまたステップを踏みかえてやってみる、その努力を続けていこう。そうしていくうちに結果はあとからついてくる、そうこの本では教えてくれている。
失敗したりつまずいたりしているうちに、そんなことは忘れてしまうかも知れない。そして忘れっぽいぼくたちは、また自分をいじめたり、相手を非難したりすることだろう。そんなときには、また、この本を開いてみよう。きっと勇気がもらえる。そして、またステップを踏む練習をしてみようという気持ちにさせてくれるだろう。
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