太田勝さん(「和歌山・夜回りの会」代表)評
お年寄りの一人暮らしがあたりまえの「まごころヘルプ」、
人間らしい老年を提供できるネットワークの構築を
「まごころヘルプ」という新潟市にある介護支援グループをさまざまな角度から取材した横川和夫さんの力作がこの『その手は命づな』という本である。横川さんは共同通信社の社会部記者としての活躍を軸に日本社会に潜む問題を鋭くえぐり出す著作を出されて来た方ですが、同社退社後の最近は『降りていく生き方』などに表れているように、日本社会の中で芽生えて来ている「人を生かす生き方」に目を向けておられるように思えます。
「まごころヘルプ」を立ち上げその中心になってこられた河田珪子さんが、「人を生かす生き方」をするようになるには、まず「自分を生かす」ことに徹するようになるいきさつがキチンと取材されています。自分の存在自体が罪であると思うほど追いつめられた経験を持つ河田さんであればこそ、「相手が癒されたり、喜んだりする姿を見ることで、生きていていいんだよというメッセージをもらっている」と言えるのでしょう。
「まごころヘルプ」の活動の中で、出会っていくいろいろの人生のドラマが、この本の中には、きら星のようにちりばめられています。介護に関わるドラマは、生と死にかかわりますから、読むものに深い感動を与えてくれます。本人、当事者の望みを大事にする、という事と同時に、周りにいる家族の頑張りすぎを防いで、「ひとりでもいい老後」をすごせるような社会のネットワークをそこら中に築きあげていこうというメッセージがこの本には入っています。
「その手は命づな」という時の、綱の種類や長さがケースごとに違っていて、一番身近で身につまされるのは、年寄りが繰り返す「思い出話」。身内が聞き飽きたとき、外から入ってくる赤の他人の「まごころヘルプ」の人たちが、入れ替わり立ち替わり面白がって聞いてあげられることが、どれほど年寄りにはうれしいかということ。その極めつきが「まごころヘルプ」の中にもうけられている「うちの実家」という場である。実家に帰ったつもりで気楽に過ごせる場で、人々が出会い、そしてまたあの人の顔がみたいとまた訪れる。
この書評を頼まれている僕ら「和歌山・夜回りの会」の悩みは、野宿からアパート生活に移った人たちの一人暮らしの寂しさをどう解決するかである。もし、そのような「うちの実家」があったらどれほど寂しさが紛れ、酒に頼る誘惑をさけられることか。
『その手は命づな』の取材のねらいの一つは、日本社会の生活の質を高める試みを紹介することにあると思える。今年は戦後60年、食べることに懸命だった時代を過ぎ、着る物住むところもそれなりに形がついて来ている現在、仕事仕事で壮年期を過ごしてきた人たちに、人間らしい老年を提供できるネットワークを構築しなければ、働くだけ働いた後は「勝手にしろ」と放り出されてしまう冷たい社会しか残らない。人をけ落とす競争社会を生きて来た人たちに、老年になってから人と出会い・協力しあうようにしようというのは至難のわざではあるけれど、気がつきさえすれば出来るというのが、「まごころヘルプ」の挑戦。いろいろな場面で人のいのちの尊さが叫ばれているこの頃の日本社会ではありますが、切り捨て御免の武家社会や姥捨て山の存在した日本農村の生き方がいぜんとして残り、「いのち」の尊さは、いまだに普通の市民の生活レベルで市民権をえているとは言い難い。それを追求するのが、「まごころヘルプ」。
僕ら「和歌山・夜回りの会」は、社会から切り捨てられて来た野宿の人たちと対等の人間関係をきづいて行こうとしています。人間的に、また社会的にマイナスを背負わされている人たちの「いのち」を大切にしようとすると、具体的に本人の生活の土台をまず確保することに追われますが、「まごころヘルプ」はその先を行っているようです。
地域共同体が力を失ってきていることは、僕ら野宿者に関わるものにとっても感じられることですが、地域だけではなしに、家族共同体も年寄りを介護しきる力が無くなってきている。「まごころヘルプ」はそこを見越して、「年寄りの一人暮らしは、これからの社会の基本」という立場から、過程や地域社会の人間関係を生き生きしたものに再構築していく壮大な試みに踏み出している。
2000年に始まった介護保険が、今年初めて大幅に見直されるようですが、介護予防サービスの導入が、経費削減の観点からだけ見られる危険は大きいようです。地域密着型の支援を始めるなら、「まごころヘルプ」のような当事者の人間としての願いを実現させるような血の通ったグループと協力してほしいものです。家族の力不足、地域の力不足、行政の力不足を、当事者の「これがしたい・これがほしい」との意志を正面から受け止めることを通して、乗り越えていく「まごころヘルプ」に注目し続けたい。
「老い」「病い」「弱っていくこと」は誰にも避けられないことで、ともすれば年とともにあきらめの境地に達すればよいと思いがちだが、そうではなしに、「老い」「病い」「弱っていくこと」にもかかわらず、「これがしたい・これがほしい」という人としての尊厳を生かしていくことの素晴らしさをこの本は教えてくれる。
「カリタスジャパンニュース No.55」から
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